FacebookやTwitterが出てきた2011年1月22日のブログの転記です。
マークザッカ―バーグをモデルにしたソーシャルネットワークを観たあとに書いたものですが、その後のソーシャルメディアの社会的な位置づけを考えると今までのメディアの歴史でも貴重な一瞬にいるように思います。
1月も半ばを過ぎ、お正月モードから徐々に年度末に向け忙しくなってきてるのではないでしょうか?
今日、話題のソーシャルネットワークを観てきました。
最初は新宿の映画館で観ようかと思いましたがあまりの混みように前から3列目の席では楽しめないと思い、別のエリアでの鑑賞にしました。
映画の詳しい内容についてはぜひ、ご自身でご覧ください。
アイディアを思いつく過程は日常の中でふと思いつくことがあります。
それがビックアイディアになるのか何も活かされないものになるのか。
今日、観たソーシャルネットワークは日米のビジネスやスピード感をよく表すものでした。
主人公のFacebookの創設者であるマーク・ザッカーバークは優秀なプログラマーであることがよく描かれていますが私にはプログラマーであると同時に優秀なプロデューサーでもあるように思えます。
このタイミングで映画化するプロモーション手法もなかなかです。
この映画には賛否両論あると思いますがアメリカでのネットビジネスのスピード感がよく表れています。
アイディアを形に変えたものが勝者なのです。
アイディアを盗用したといった内容もありますがアイディアを具現化するだけではビジネスにはなりません。
アイディアをどのようなサイトのUIにするのかそのために必要な機能は何か、サイトの認知を広げるための施策や運営コストの捻出など多くの要因があるのです。
マーク・ザッカーバークは自分でプログラムを書けたことは自分でイメージしたことを形にするのに有利であったことは確かだと思います。ですが、アイディアを形にするのは決してそれだけでは無いのです。自分のアイディアを信じて、協力してもらうメンバーやスポンサーなど多くの人を巻き込めることもプロデュース能力なのです。
共同創設者とのビジネスの考えで広告はクールではない。人を集めて安定させてからでもといったやり取りがあります。従来の収益モデルである広告や課金を早期に展開して収入による安定化を図りたいと言う共同創設者の気持ちはよくわかりますがマーク・ザッカーバークの認知を広げて人を囲い込むことでよりビックビジネスになりえるというのは企業の事業計画を作る発想とも違うように思います。学生が情熱を持ち、自分の作り出したものに誇りをもつ、そして遊び場でもあるというビジネスからの発想より、面白いものが受け入れられるというシンプルな発想のように思います。Facebookは世界で5億人ものユーザーを抱えるサイトになりました。共感社会を生み出す原動力になるサービスでありますが人と人とは結び付いていたいという至ってシンプルな発想から生まれたサービスであると思います。APIのオープン化やソーシャル広告など結果としてGoogleによるテクノロジーではなく人の繋がりに回帰していくFacebookが受け入れられていくのは必然なのかもしれませんが、日本のコンテンツ産業はアメリカのネットサービスの上で展開しているに過ぎないと感じられるのは私だけでしょうか?
従来、ビックアイディアに成り得たビジネスはこんなサービスがあったらいいなや欲しいなといった至ってシンプルなアイディアからの発展だったと思いますが、企業間や企業内での紛争に勤しんでいた失われた20年の間に世界はAPIによるオープン化戦略により、繋がることで利益に繋がると考えたのに対し、日本はi-modeを初めclosedな技術仕様であることで収益を確保してきたビジネスでは明らかに発想やビジネスの成長戦略が異なるように感じられます。